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宮城教育大学

社会に出て現実的に使える「学力」を
学校や地域社会から考える。

社会の縮図とも言える「学校」。間もなく幕を閉じる平成の世相と合わせて見ていくとその影響を受けた現状が見えてきます。私たち大人も含めて、これから必要な本当の「学力」についてお話をうかがいました。

将来の予測が困難なこれからの社会では、問題が起きたら主体的に向き合い、多様な価値観のひと・もの・ことと対話する力が不可欠です。

先生の研究・活動について教えてください。

新しい学習指導要領で「深い学び」と言われるものを実現できる授業をどう創ったらいいか研究・指導しています。宮城教育大学図書館にある「教育実践資料室」には、これまでの優れた教師たちによる授業の映像資料や子どもたちの作品など素晴らしい事実の蓄積があります。第二代学長だった林竹二は、「授業を創る力」をつける学生教育に力を入れました。その貴重な財産を生かすように努めています。また、熱心で力量のある先生方と学習会を持ち、学校現場での実践報告をうかがい、子どもの力を引き出すために教師はどのような力を付ければよいかについて学びながら、研究を進めています。

こちらに来られて約25年になりますが、宮城県の 教育や子どもたちにどのような変化がありましたか。

 宮城県には授業を熱心に創る教師の文化があったはずなのに、授業の創造に手間と時間をかけられない状況になっていると感じています。私が来た当時も不登校や高校中退が深刻な問題になっていました。人間関係づくりが苦手な人が増えていることに原因があるのかと思います。教師の成長は大学で基礎力を培い、学校現場で子どもと関わり、同僚や保護者の力を借りながら果たせるはずです。実際にはそれが上手くいっていない状態だと思います。
 少子社会になったことで学校と家庭、地域の関係が激変してしまいました。かつての学校は、子どもの教育のために親御さんも力を合わせる場所だったのですが、サービスを一方的に受ける機関とみなしている方も多いようです。

塾などと一緒にされているということでしょうか。

 学校外の教育産業がこれほど普及してしまうと、そうなってしまいますね。単にテストの点を上げるだけでは本当の学力は身につきません。ですが今の親御さんの世代や本学の学生たちも小さい時から塾に通っていたので、与えられたものをこなすのが教師の仕事と考えてしまいがちです。学力のとらえ方自体を改めるべきです。
 一時期は「モンスター・ペアレンツ」問題も凄かったですが、かつては三世代同居で自分の親に相談できたことについて、核家族化や地域コミュニティの崩壊で相談相手がおらず、学校に矛先が向けられたわけです。現代社会の縮図である学校に、地域や家庭の経済格差や文化格差などの課題が次々に詰め込まれてしまいます。そのため、教師は本来の仕事である、授業で子どもに学力をつけることにエネルギーを注げていない印象があります。

そういったことも宮城県の学力が 低迷している理由でしょうか。

 教師が子ども一人ひとりの学習の実態を捉え、「つまずき」とその原因に対応する指導が不足しているのだと思います。それに対しては、宮城県教育委員会が教師へきめ細かな指導助言をするよう動き始めていますので、成績が持ち直すことを期待しています。
 全国学力テストは来年度から形式が変わり、知識や技能を具体的な状況に応じて使う力がさらに求められるようになります。つまり、社会に出て現実的に使える学力の有無が問われます。現在提示されている小学校国語のサンプル問題に「パン職人のお仕事」という、パン職人へのインタビューから展開する長文問題があります。パン職人の仕事の苦労と喜びを伝えるスピーチ原稿を書くプレゼンテーション能力を問う内容もあります。塾での勉強やネットから得た情報では通用せず、問題の背景にある生活経験や知識がないと解答するのが難しいでしょう。  将来の予測が困難なこれからの社会では、問題が起きたら主体的に向き合い、多様な価値観のひと・もの・こと(先人・古典を含む)と対話する力が不可欠です。「深い学び」の「深い」というのは、単なる知識ではなく知恵を身につけ、次々に生じる新たな問題に挑戦し続けるということです。

ままぱれ読者にアドバイスをお願いします。

 学習を成立させる基盤となる、意欲や姿勢をご家庭で身につけさせて欲しいですね。人間は身近な人の背中を見て育ちます。お母さん自身が楽しめることや好きなことを見つけて夢中で追求し、学ぶことは楽しいという姿を子どもに見せてあげて欲しいです。
 宮城県出身の彫刻家、佐藤忠良さんが1985年に出した『子どもたちが危ない―彫刻家の教育論―』という本で、「身体を使わなくなるので、便利さの追求は落とし穴だ」ということを言っていました。すべての感性・知性の基礎である「触れる」という感覚がなくなってしまうことを危ぶんでいました。本当に学ぶということは単にスマホで情報を得ることではなくて、心も身体も頭もみんな使って、知恵を身につけることです。学びの根底には感性や想像力の働きがあると思います。問題解決に向けたコミュニケーションでは、相手の存在を受け止めて、相手の立場を思いやる感性や想像力が必要です。表情を読むなどの言葉になる前の身体的なコミュニケーションが、家庭での親密な親子関係で積み重ねられると心が安定し、様々な他者との対話に繋がると思います。

地域の役割はどうでしょうか。

 「総合的な学習の時間」に、地域で自分の仕事に誇りを持って打ち込んでいる方と関わりながら、子どもたちが生きる指針を学んでいるという事例も聞き、未来への希望を感じることもあります。高齢者も日々学び続けて生き生きと年を重ね、活力あふれる姿を子どもたちに見せていくことも大切でしょう。
 授業を創る専門家である教師と、生活経験に根ざした知恵と技を持っている地域の方と、親が学校を核にして子育てに力を合わせ、それぞれに「深い学び」を重ねて成長し続けるのが理想だと思っています。学校が「深い学び」を創る拠点となり、地域の未来を切り拓く子どもが育って欲しいです。

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